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読み物 > パリ留学日記 > 8. 生活
8. 生活
投稿者: Sachiko 掲載日: 2004-10-16 (3511 回閲覧)
フランスと言えばワインとチーズである。
この両者が大好物な私にとってここは天国。ビールだって思いのほか美味しい。
日本のように種類は多くないが、カフェで飲むクローネンブルグ1664は非常においしい。
日本では、女性が昼間からビールを飲んでたら白い目で見られる事が多いが、パリでは日常の風景だ。


ワインのイラストワイン、チーズ、生ハム
食事時にワインを飲む習慣のある国民なので、ランチでも飲んでいる人がたくさんいる。
食事に時間をかける習慣のある国民だが、パリのオフィスで働く人のお昼休みは日本と同じく1時間か1時間半だ。お酒を飲むと赤くなる体質の人は困るだろうと思うが、昼間から赤くなっている人はほとんど見かけられないので、アルコールが合わない体質の人はそんなにいないのだろう。きっと、子供のころからワインに慣れ親しんでいるせいで、体質もアルコールにあってくるのかもしれない。
彼らのように子供の頃から飲みなれているわけではないが、私とアルコールの相性はとてもいい。母親に似たのであろうか、顔が赤くなることもなく酔っ払うこともない。

ソルボンヌの初級の通っていた頃、 同じクラスに多美ちゃんという友人がいた。
普段はそれぞれ他の外国人の友達と昼食を食べていたが、金曜日の昼食だけは二人一緒に食べた。
必ず私たちは生ビールで乾杯をした。
このビールは二人だけの密やかな楽しみだった。
「明日からウィークエンドだ!」
金曜日になると心が弾んだ。

この生ビールは自分自身への一週間分のご褒美だ。
多美ちゃんにはいろいろと助けてもらった。
オートクチュールのコンテストに優勝し、 そのご褒美として、パリの学校で1年間オートクチュールを学び、 その後フランス語の学力アップの為にソルボンヌへやって来た。
パリに来てすぐにソルボンヌに通っている私とは違い、 彼女はパリで1年間生活をしてきているので、精神的に余裕があった。
“学校内では日本語では絶対に話さない”
という私の意思に賛同してくれて、 たとえ二人きりの時でも学内ではフランス語で話をした。
多美ちゃんも私同様お酒が好きだった。
当然、金曜日の夜はよく二人でお酒を酌み交わした。 どちらかの家で飲んだり、遅くまでパリをうろつく事もあった。
多美ちゃんと私は同い年である。 お互いに目的を持ってパリに来ているので、 週に1度の二人のおしゃべりは私の精神のバランスを保つのにとても大切だった。

部屋からの風景
部屋からの風景パリはお酒好きには天国だ。
外で飲んでも安いし、タクシーがこれまた安い。東京で生活していた私は、パリに着いてからの最初の数ヶ月はタクシーにお世話になる深夜まで飲み歩いていた。
経済感覚はあっという間にパリに慣れてしまい、お財布の紐は直ぐに固くなった。
日本で1本2000円のワインなど平気で飲んでいたが、パリでは30フラン(約600円)のワインを買うのにも、清水の舞台から飛び降りる覚悟だ。
それ程ワインは安くて美味しい。
チーズも生ハムも日本に比べると信じられない安さだ。
東京に住んでいた時、ギャラが入ると“今日は贅沢だ!”と意気込んで、 新宿伊勢丹の地下で生ハムとチーズを買っていた。パリでは同じモノがうそのように安く手に入る。
ゆえに私は食べまくった、食べた食べた食べた。その結果・・・・そうです。私は太ってしまったのです。渡仏10ヶ月目で10キロも太ってしまった。
11ヶ月ぶりの帰国の時“素敵なパリジェンヌになっている”事を期待していた両親は「女子プロレスラーの帰国」と、がっくりしていた(今のレスラーは細くて可愛い人が多いけど)。
しかし一番ショックなのはこの私だ。
人種が入り混じったパリで私はデブではなかった。しかし、日本へ帰ってみると私はただのデブだった。
当然実家に置いてある洋服は全て入らない。
ショックな現実に直面してしまった私はチーズ、生ハム、ワインを止めることにした。 この3品を絶つと言うのはどれだけ大変なことか。想像を絶する苦しみに違いないと覚悟していた私だったが、案外簡単にやめることができた。
ただ今、1ヶ月経過。
少しずつ効果が現れてきたと思うけど・・・でもいつになったら解禁しようか。 解禁後は瞬く間に又10キロ増えてしまうに違いない。

マドモアゼル・とうふ

「パリに行ったら食べ物が大変なんじゃない?」
出発前に母や叔母はさんざん心配をしていた。チーズ、ワインが大好きなくせに私は完全なる御飯党なのだ。漬物、豆腐、納豆、味噌汁がないと生きていけない。 旅行で2度パリに来たが、その時も食べ物にはかなり苦労した。
しかし、パリで日本食の材料を手に入れるのは案外簡単だ。パリ市内には2つの中華街があり、そこには中国系の大型スーパーが何件もあるので、たいていの食品は安くまかなえる。でもわざわざ毎日中華街へかいに行くわけにも行かないので、普段の買い物は近くのお店で済ませることになる。

わが街パッシーには常設の市場があり、その近くには肉屋、魚屋、八百屋などが数軒あり、いつも賑わっている。
よほど16区には日本人が多いと見えて、お肉屋の店先には“スキヤキ用、焼肉用、ハンバーグ用できます”と日本語の張り紙がしてあったり、魚屋の前で立ち止まっていると、魚屋のおじさんが私にしか聞こえないような声で「さしみ、さしみ、トロ、トロ」と、日本語でつぶやいて、冷蔵庫の中からトロをちらりと見せたりする。
フランスでは普通魚は輪切りにして売っているので、トロの部分を切り分けているということは、とてもスペシャルな事なのだ。
最初の数ヶ月間、私が足繁く通った店がある。それはパッシー市場外にある中国雑貨屋さんだ。
その店では中国の服や、食器、アクセサリーなどを売っている.店先には小さなガラスの冷蔵ケースがあり、もやし、チンゲンサイ、春巻、そして豆腐がある。 最初にこの店で豆腐を見つけたときの喜びといったら・・・。
私はこの店にかなり通った。しかし豆腐が売り切れの時も多かった。
きっと日本人が買い占めているのだろう。

河童おじさんある時いつものように豆腐を一丁買って、お店のおじさんにお金を渡した(彼はカッパを黒くして、人相を悪くしたような顔をしている)。
すると、おじさんはいきなり私の手を握り、ニタッと笑いながら
「マドモアゼル、火曜日の3時に」と、言った。
まだ、フランス語があまりわからなかったので、
私がキョトンとしていると私の手をまたギュット握り締めた。
私がその手を払いのけようとした時
「マドモアゼル豆腐、火曜日だよ!」
そう、このおじさんは豆腐の入荷日を私に教えてくれたのだった。
きっと、豆腐がない時の私の落胆振りを見て、かわいそうに思ったに違いない。
おじさんはかなりやさしいおじさんだった。それから、毎週火曜日に私は新鮮な豆腐にありつくことができた。

パリに住んでみると面白い食品をいろいろ見つける。“豆腐命、納豆命”だった私も、冷蔵庫に常備しておかなくても平気になってしまった。
何ヶ月あの中国雑貨屋に足を運ばなかっただろうか?
私は久し振りに豆腐を買いに足を運んだ。
驚くべきことにガラスケースの中にはメイドインフランスの“しらたき”と“こんにゃく”が豆腐と一緒に並んでいた。思わず、私は大量に買い込んでしまった。
「マドモアゼル豆腐、ずいぶん久し振りだったね。入荷日はいつも火曜日だよ」
おじさんはうれしそうに教えてくれた。
 カッパ顔のおじさんはいい人だ。

パリ、不思議な街

パリにはじめてきた人は、人種の多さに驚くだろう。
メトロに乗っていると“この国はどこの国なの?”と、思ってしまう。まるで人種の見本市だ。
純粋なフランス人の顔とはどんな顔だろうか? 生粋のフランス人を探すのはきっと難しいに違いない。
ひと昔前の日本では“パリはわざとフランス語しか話してくれない嫌なところだ”と言われていた。これだけいろいろな人種がいて、みんなフランス語を話している。パリにいる人はたとえ観光客であっても“フランス語を話せて当然”と、思ってもしょうがないのだ。
でも、今は英語を話せる人が増えてきているので、旅行に来ただけならば困ることはないだろう。
私がまだフランス語もパリも良く知らない頃に、フランス人に道を聞かれることが多々あった。日本だったら、明らかに外国人だとわかる人に道を聞くことなどは考えられないが、パリではそんな事はない。外国人のほうがパリを良く知っていることのほうが多いのだから。

パリに住んで半年ほど経ったある日、私はメトロのホームでコンタクトレンズについたゴミを取るためにベンチに座ってコンパクトを取り出して鏡を見ていた.
無事にゴミを取り除いてコンパクトをしまおうとしていると、一人のおばあさんが近寄ってきた。
70代であろうか。ホームレスの人にしては身なりはきれいだ。しかし、明らかに普通の人ではない、ある特別の雰囲気をかもしだしていた。
席を立とうか、立つまいかを考えていると、彼女は私の隣に座った。
「ボンジュール、マドモアゼル」
私を見つめてニコリともせずに言った。私が黙っていると
「ボンジュール、マドモアゼル」
と、繰り返した。
私はどうしてよいのかわからなかったが、とりあえず挨拶を返した。
すると彼女は抱えていた大きな紙袋の中から、おもむろに古びた財布を取り出した。
そして、財布を逆さにしてありったけのコインを私に見せた。
「ごらんなさいよ。これが、私の人生の値段なんだよ」
私の目を見ていった。
そこには20フラン(400円ほど)あったであろうか?
私はバックから自分の財布を取り出してコインを渡そうとした。
「いらないよマドモアゼル」
老女は私をじっと見つめた。何故、私は彼女にお金を恵もうとしたのだろうか? 老女は散らばったコインを財布に戻すと
「さよなら、ごきげんよう」
と、言って歩き出した。
老女はどんな人生を送ってきたのだろうか? 私はその日一日中彼女のことを考えていた。
「もしかして、同じ時間に同じ場所で、毎日彼女は同じ事を誰かに言っているのかもしれない。また会いにいこうか・・・」
と、思ったりもしたが結局私は行かなかった。
私には行く勇気がなかったのである。

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